日. 7月 21st, 2024

はじめの投稿なので僕の好きなお話(結構有名)

左からラシード・ウォレス、ベン・ウォレス、テイショーン・プリンス、リップ・ハミルトン、チャウンシー・ビラップス、ラリー・ブラウン

2003-2004シーズンのNBAと聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?

多くの人はレブロン・ジェームズをはじめとした2003年のドラフトであったり、
あるいはKOBE&SHAQにカール・マローン、ゲイリー・ペイトンが加わったスーパーチームの結成を思い浮かべると思います。

しかしながら今回は2003‐2004シーズンのDetroit Pistonsについて語ろうと思います。


ピストンズといえば80年代後半のアイザイア・トーマス、デニス・ロッドマン、ビル・レインビア等がいたころのいわゆるBAD BOY PISTONSであったり、最近のファンではケイド・カニングハム(怪我大丈夫?)が頭の中に挙がってくると思うのですが、実は2004に優勝しているんです。

左からアイザイア・トーマス、ビル・レインビア、デニス・ロッドマン


2004年のピストンズはスーパースターを擁しないチームながら当時、最強と言われていたKOBE&SHAQのLAKERSを打倒し優勝しました。今回はどのように優勝を成し遂げたのかを書いていきます。


この話をするにはまず1999‐2000シーズンの話をしなければなりません。

1998-1999シーズンの終わりにあるレジェンド選手が引退します。
その名もジョー・デュマーズ (下の画像)

彼は1889年、1990年にピストンズの2番手として優勝しており、6度のオールスター選手になっているおり、BAD BOY PISTONS時代の選手でありながら、紳士的かつ聡明な選手として知られています。


そんな1999年に引退した彼ですが、翌年の1999‐2000シーズンではピストンズのGM(ジェネラル・マネージャー)に就任しました。ではここで2000年までのピストンズの成績を少しだけ見ていきましょう。

1994-1995 28勝54敗
1995-1996 46勝36敗
1996-1997 54勝28敗
1997-1998 37勝45敗
1998-1999 29勝21敗
1999-2000 32勝50敗

とても4年後に優勝するようなチームには見えませんよね。

そんなチームを変えていくのがジョー・デュマーズの仕事でした。

2000-2001シーズン、彼が最初に行ったことはピストンズのスター選手であり、ネクストジョーダンと期待されていたグラント・ヒルをトレードすることでした。この見返りとしてピストンズはチャッキー・アトキンスとおまけでベン・ウォレス?という選手でした。

当時のベン・ウォレス(下の画像)といえばファンからすると「誰それマジ」というレベルの選手でした。実際獲得したピストンズ側も期待はしていませんでした。しかしながら加入1年目から13.1リバウンドをという素晴らしいスタッツを残し、後に4回のオールスター選出4度の最優秀守備選手を受賞する選手となりました。


彼の獲得は序章にすぎません。
2002シーズンのはじめ、デュマーズはチームのスターガードのジェリー・スタックハウスを放出し、ワシントンに所属していたジョーダンに嫌われていたリップ・ハミルトンを獲得しました。次にこの年ドラフト3位で期待されていたものの開花せずジャーニーマンとなっていたチャウンシー・ビラップスと契約を結びました。またドラフトではテイショーン・プリンスをドラフトしました。

画像:左からチャウンシー・ビラップス、テイショーン・プリンス、リップ・ハミルトン


リップはその年チームのリーディングスコアラー(チームの中で最も得点した人)、テイショーン・プリンスはペリメーターディフェンスの要に、チャウンシーはチームのリーダーとなり、後に数々のクラッチショット(勝負強いシュート)を決めたことから、Mr. Big Shotというあだ名がつくほどの選手となりました。

結果2002シーズンでチームは52勝32敗でイースタンカンファレンス1位でプレイオフに進出、カンファレンスファイナルに到達しました。しかしながらそこで対面したのがジェイソン・キッド擁するニュージャージーネッツであり、ピストンズはそこでスイープ負けをすることになりました。

このスイープ負けというのはカンファレンスファイナルに到達したものの、優勝を目指すチームとしては良い結果とは言い切れませんでした。


そこで次のシーズン(2003-2004)ピストンズは本気で優勝を狙うことにしました。

デュマーズは2003年のはじめ大きく二つのことを変更しました。

一つは監督です。当時の監督は若い頃のリック・カーライルであり、彼が監督では優勝できないと判断した彼は監督としてアイバーソンと共に2001年にファイナルまで行った名将ラリー・ブラウンを雇いました。

次に変更した点はインサイドの選手です。2002‐2003シーズンまでのピストンズはガード二人が主に得点を量産、中にいる選手はディフェンスよりの選手でした。そこで穴となっていたパワーフォワードの選手をドラフトで補強することにしました。ここでデュマーズはNBA史に残る失敗をします。

来る2003シーズンのドラフトでピストンズは2位指名権を保有していました。2003年ドラフト組はNBAの歴史でも豊作年として有名で、後にスター選手となる、レブロン・ジェームズカーメロ・アンソニードウェイン・ウェイドクリス・ボッシュを輩出したドラフトです。そんな中で2位指名権を持っていたピストンズはレブロンは指名できないにしろ、カーメロやボッシュをドラフトし、パワーフォワードを補強することが可能でした。そこでピストンズはダーコ・ミリチッチを指名しました。

画像↑:ダーコ・ミリチッチ

ではここでダーコ・ミリチッチのキャリアスタッツを見ていきましょう。
平均得点:6.0
平均リバウンド:4.2
平均アシスト:0.9
FG成功率:46%

はい、いわゆるドラフトバストです。こんな子をスタメンにするチームは優勝できませんよね。デュマーズ失敗しました。

ただ彼は優秀です。切り替えが早い、失敗に気づいた彼は2003-2004シーズンのトレードデッドラインでオールスターであり、悪名高いビッグマン、ラシード・ウォレスを獲得します。これによりBAD BOY PISTONSのメンタリティーを持つ、スーパースターがいない、スタメン5人が平等な、素晴らしいチームバスケができるチームが完成しました。

画像↑:ラシード・ウォレス


これによりチームが強くなり、昨シーズン同様イースタンカンファレンス1位でプレイオフ進出、その後ファイナルまで到達しました。

しかしながら当時の多くのNBAファンはピストンズは不運だなと感じたと思います。というのも対面したチームがNBAの歴代でも最強と言われるKOBE&SHAQ+二人の殿堂入り選手が所属するLAKERSであったからです。
当時のNBAファンの見方ではピストンズが優勝するとは到底思えませんでした。

画像↑:左からSHAQ&KOBE



実際、下馬評でもLAKERSが優勝という意見が圧倒的でした。
しかしながら、当時のLAKERSはKOBEとSHAQの仲が崩壊していました。
そこにピストンズの付き得る隙がありました。

ファイナルが始まると、ピストンズはLAKERSを圧倒し、なんと4勝1敗で優勝を果たしました。

その後、ピストンズは数年間、リーグで強豪チームとして居続けましたが、これ以降優勝することはありませんでした。しかしながらこのチームのお話はスーパースターが存在せず、素晴らしいチームバスケをして、圧倒的な相手に対してアンダードッグながら勝ったという話で有名です。

僕はこのころはNBAを見ていなかったので、今後こんなチームが現れのかなぁと思うと楽しみです。


にほんブログ村 その他スポーツブログ NBAへ
にほんブログ村 にほんブログ村 その他スポーツブログへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA